フリーメイソンのシンボルとその意味
フ
リーメイソンはその起源は明確ではありませんが16世紀終わりから17世紀初頭にかけて始まった友愛組織です。現在では世界中に様々な組織のフリーメイソ
ンが存在し、そのメンバーは概算で600万人を超えています。 スコットランドとアイルランドには約15万人、英国の連邦グランドロッジ傘下には25万人
以上が属し、またアメリカには200万人弱のメンバーがいます。
友愛組織は独立したグラントロッジやの東洋の管轄で管理され、それぞ
れが下
位組織を構成して独自の管轄権を有しています。
初
期フリーメイソンの起源と発展に関してはいくつかの議論や憶測があります。”レジアス原稿”として知られる韻文
は約1390年頃のもので、フリーメイソンテキスト最古のものとして知られています。
候補者は友愛の規則に従って”フリーメイソンの秘密”
(それぞれの階級を認識する様々なサイン、象徴、言葉)
を守ることを誓う儀式を行い、他人に対してもフリーメイソンの伝統と規律に基づいて行動することが義務付けられています。一般の管轄では、神聖法前述で至
高の存在の証人のもと義務を誓い、候補者の自由意思であることが保証されています。
フリーメイソンの直角定規-直角定規とコンパス(正確には直角定規と重なり
合ったコンパス)は最も顕著に認識できるフリーメイソンのシンボルです。直角定規もコンパスも建築家の道具で、フリーメイソンの儀式におけるシンボルの教
訓で教えられるものです。フリーメイソンは、”美徳を身に着け行動を公平に正す”べきである、”全ての人類に対して
正当な義務範囲内において欲望を制限し情熱を維持する”ことを学ばなければならない、などという意味
からロッジや儀式によってはこれらのシンボルは品行教訓のシンボルとなっています。 |
契約の箱 -
契約の箱はダビデへの神の約束を明らかにしているもので、この
約
束を通して今日私たちの罪に対して神の継続的な恩恵を受けています。このため、フリー
メイソンにとって契約の箱はとても重要です。フリーメイソンはソロモン寺院が建設された理由は契約の箱にあると信じています
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フリーメイソンの祭壇
-
フリーメイソンロッジ内で聖典が置かれるフリーメイソンの祭壇は、神と関わることができる場所のシンボルになっています。しかし古代フリーメイソンの祭壇
は神にいけにえを捧げたり贖罪を行い神と交わる場所でした。 |
フリーメイソンの麻綱
- フ
リーメイソンの麻綱は、”引っ張るロープの長さの範囲であれば”、全ての力と強さをもって兄弟を助けに行くこと
に同意する候補者の装飾の一部です。このロープの長さは最初の兄弟の能力を示しています。
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フリーメイソンの子羊 - 子羊は潔白と純粋のシンボルです。
古代の工芸
フリーメイソンでは、子羊は潔白を表していました。第一階級の教
えには”全ての年齢において羊は潔白を象徴している”とあります。
このためフ
リーメイソンのエプロンは子羊の皮から作製することが要求されて
います。騎士道などさらに進んだ階級の教えでは、キリスト教の図のにあるように子羊はイエス・キリストの象徴です。
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アルファベットのG -
ヘブライ語で聖書が最初に書かれた言語をGheemel(またはギーメル)と呼んでいて、数字の3に値します。歴史を通してみると、神の言葉には数字の3
が引用されています。私たちが話す言語に関わらず、フェニキア語、ギリシャ語、アラム語、ヘブライ語、シリア語など多くのセム語ではギーメルは3番目のア
ルファベットです。フリーメイソンでGというアルファベットは、神と幾何学を表しています。 |
フリーメイソンの目
- フ
リーメイソンの目は神の目を象徴しています。神聖なる存在と宇宙を守る常なる存在を表しています。神は常に存在するために神には始まりと終わりがありませ
ん。フリーメイソンの神の目は私たち一人ひとりを見守っています。
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フリーメイソン
のトウモロコシの束 -フリーメイソンのトウモロコシの束は、ソロモン王の時代では、マスターメー
ソンの労働によって収穫し獲得したお金を表していました。
今日ではフ
リーメイソンのトウモロコシの束は、新しいロッジの奉納、組織、
奉献時にその基本理念として古くからのシンボルとして使われています。フリーメイソンのトウモロコシの束は恵まれない人々への慈善を表しています。
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フリーメイソンの靴 -
青のスリッパとも呼ばれるフリーメイソンの靴は、口頭による証言の物理的な確証を表しています。古代では靴を緩めて相手に渡すことが互いを確認する方法で
した。
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フリーメイソ
ンの星 - フリーメイソンの輝く星はもっとも重要なシンボルの一つで、五芒星とは異な
ります。中心が光るフリーメイソンの輝く星は、神が10の戒めを含む2つの石を神の忠実なるしもべであるシナイ山のモーセに渡した時、栄光なる神の光線は
あまりにも眩しく恐怖と震えなくしては誰もそれを見ることができなかった恐ろしい時を思い起こさせます。
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